tamatama

先日、ひきこもりでも役に立てたというはなしを書きました。誰かのためになるというのは随分久しぶりのことでしたし、自分が好きでやっていることで役に立てたことがスゴく嬉しかったんですよね。

結果として、彼はブログを始めました。

が、更新がもう止まってる!!

今後の活動に、ブログは欠かせないものとなるはずなんですけどね……。


ブログについてはまだわたしの方が知っているはず。なので、アドバイスできるなーとも思うのですが、それはしません。

わたしが役に立てたのは「たまたま」だからです。


自分から役立ちに行ってはいけない理由。

バスでお年寄りに席を譲ろうとしたら断られてしまい、そのことに怒っているひとがいますよね「譲ってあげたのに」って。

原因は、「善意」で譲って「あげた」から。

自ら誰かの役に立ちに行けば、相手の反応に振り回されることになります。

その理由を3つにまとめてみました。


アドバイスは行動しているひとにだけ有効。

興味のないはなしって聞き流しますよね。わたしも、授業中よく寝ていました。

おもしろいはなしは、うんちくとして受け流すことはありません。そして、興味や好奇心というものは、実際に行動したときにしか湧かないもの。

気になった商品やニュースをネットで調べていると、いつのまにか時間が過ぎてしまいますよね。「もっと知りたい!」は疑問をもって行動しているひとだけの感情です。

自分のはなしを聴いてもらうためにも、アドバイスは、それをほしいと手を挙げているひとに送るべきです。


期待を押し付けてしまう。

求められていないアドバイスは、相手を自分の思い通りに動かそうとすることばです。

他人は自分の思い通りにはなりません。自分の言った通りに行動しない相手にイライラするのはとても傲慢なこと。

尊敬もしていない先輩、上司から「ああしろ、こうしろ」言われるのは、たとえ善意からであってもムカつきます。シカトしようとすると、そういうひとに限って「わざわざ俺が言ってやったのに!」と吠えてきますよね。

勝手に期待して、勝手に失望するのは自分勝手であり失礼です。


相手のためにやることに変わってしまう。

相手のことを第一に思っての行動は長続きしません。相手がなにも期待に答えなくても、報酬がなくても続けられたら、それは、愛だと思います。

役に立ちたいと思うひとを愛せないなら、自分がやりたいことを誰かのために役立てる道を選ぶべきです。

お年寄りに席を譲るのを断られると、なぜシュンとして挙句の果てに怒りだすのか。それは、必要のない善意を「やってあげた」と押し付けてしまっているからです。

「どうやったら断られずに席を譲ることができるか」を自分がクリアすべきミッションにすれば、断られたからといって怒り狂うことはないでしょう。席を譲りたい理由、「お年寄りだから」「転んだら危ないから」などは必要ありません。

自分を満足させ続けた先に、誰かの役に立つ道があります。


役立ちたい欲はネットに漂わせる。

ネットは便利なもので、例えば「席 譲り方」で検索すれば、個人が考えた良い答えがたくさん見つかります。

伝えたいこと、教えたいことをネット上に流しておけば、必用なひとが必用なときにキャッチしてくれるんですよね。


わたしも今回、ブログの更新を止めてしまった知人にアドバイスするべきか悩み、それをここに吐き出しています。そのことが誰かの役に立つかもしれないってすごいことです。

多くの人が Google などの検索サイトを使うことを考えると、個人が発信するのにはブログが1番適してるんじゃないかなあ。


自分のしたことが役立つのが嬉しいから、もっとやりたいことに打ち込める。そんなループを続けるためにも、自分が「たまたま」役に立っていることを忘れないようにしたいです。

そして、誰かが発信している情報が役に立ったときは「役に立ったよ!」と声を上げられるようになりたいな。


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