音楽の聴き方について歴史とともに様々な方法を学べる良書でした。クラシック音楽が例として多く登場しますが分からなくても読めると思います。押し付けがましくないのも良いポイント。

以下、気になったところをメモとして残しています。

 

 

好みは洗練していく。

ワインのテイスティングの語彙と音楽を語る表現。

音楽の聴き方には隠れた「型がある」

ex.AメロBメロサビ、音楽を上演する場、音楽を語るロジック、文化的背景

これらをわざと外すことでも聞き手との対話が生まれる。

 

 

感性の次元

相性が純粋に個人的なものであることは、一般に思われているほど多くはない。

生理的かつ個人的な相性や嗜好と見えるものの多くは、実はその人の履歴であり、しかも集団的に規定されている。

そして集団が違えば、価値体系はまったく異なってくる。「よかった」や「悪かった」は常に、「彼ら/彼女らにとってはよかった/悪かった」なのである。

自分が音楽にどう反応しているかをきちんと聴き取る。

ex.その音楽を途中で止められるか、すぐにはピンとこなくても「これは最後まで聴くべきだ」と思ったらそれが「縁」

 

 

音楽の言語化

音楽は言葉に出来ないという発想は比較的新しいもの。19世紀。

明晰な概念、形がない音楽は心地がいいが曖昧という理由で芸術としては2流だった。

単に気持ちがいいだけ、議論するほどのものではない→「議論できないくらい言葉を超越している」と語りだす。→音楽の宗教化、音楽は神→音楽批評の詩的神秘化、言葉を用いながら言葉では表せないと嘆いてみせる

芸術批評家+演奏至難な曲の激増→音楽を「する」「聴く」「語る」の分業化

音楽の神格化、音楽の詐欺商売化が同時進行

 

音楽を語る言葉~指揮者の場合~

  • 直接的支持「もっと大きく」「ここからクレッシェンド」
  • 詩的絵画的支持「ワイングラスで乾杯する様子を思い描いて」
  • 音楽構造「ここはハ長調」「再現部はここから」
  • 歴史的文化的な背景
  • 身体感覚に関わる独特な比喩→わざ言語「40度位の熱で、ヴィブラートを思い切りかけてみて」「おしゃべりな婆さんたちがおしゃべりしている様子で」

形ではなくイメージの共有?リアルな身体感覚をどれだけ喚起できるか。

わざ言語:特定の身体感覚を呼び覚ますことを目的とした特殊な比喩

 

 

言語としての音楽

音楽を読む、音楽の文節を理解する。

音楽を建物としてみる。構造を理解する→言葉と一緒で国の「訛」がある。

 

記号としての楽器や奏法

  • トランペット:軍隊、天使のラッパ、ファンファーレ 
  • トロンボーン:地獄 
  • 弦楽器のトレモロ:不安や興奮 
  • 歌いにくい音程:苦痛の表現


音楽にも国境はある→サウンドとしては超える。言語としては壁がある。

 

 

歴史性

「これって私たちの中ではこんな風に位置づけるのが普通だよね。でもここはちょっと変わってるけれど、これもこんな風に考えればありかもしれないとわたしは思うよ」

あくまで事実に基づき、かつ共同体規範を参照しつつ、その中に対象をしかるべく位置づけ、しかしそこから「私にとっての/私だけの」意味を取り出し。そして他社の判断と共鳴を仰ぐ。これこそが音楽解釈の真骨頂である。

「音楽を聴く/語る」とは、音楽を歴史の中でデコードする営みである。それはどういう歴史潮流の中からやってきて、どういう方向へ向かおうとしているのだろう?こちらからはこう見えるものを、向こう側から眺めればどんな風に見方が変化するだろう?一体どの歴史的立ち位置から眺めれば、最も意味深くその言葉を聞くことが出来るだろう?ー音楽を聴くもう一つの楽しみは、こんな風に歴史と文化の中でそれを考えることにある。

「どこから来たのだろう?/誰が書いたのだろう?」

「こういうものを育てた文化=人々とは一体どのようなものなのだろう?」

 

 

社会性

音楽を完全にポータブルにすることなんて不可能だ。「音楽とは人が人に向けて発する何かだ」

本来「愛する人(アマートル)」を意味したアマチュアの概念は、近代においては「下手な素人」の代名詞になってしまった。

愛好家は、自分の享楽に連れ添って行く。「中略」彼は、反ブルジョワ芸術家であるーたぶん、いずれそうなるはずであるー。『彼自身によるロラン・バルト』

 

 

推薦図書

  • わざから知る 生田久美子 東京大学出版会
  • 意味がなければスイングはない 村上春樹 文藝春秋 2005年
  • 彼自身によるロラン・バルト みすず書房
  • 音楽美論 ハンスリック 渡辺護訳、岩波文庫 1960年
  • 奏でることのちから 若尾裕 春秋社 2000年
  • 音を投げるー作曲思想の射程 近藤譲 春秋社 2006年
  • 小説家の休暇 三島由紀夫 新潮文庫 1980年
  • 音楽社会学序説 高辻和義・渡辺健訳 平凡社ライブラリー 1999年
  • 古楽とは何か ニコラウス・アーノンクール 樋口隆一・許光俊訳 音楽之友社 1997年
  • ブーレーズ音楽論ー徒弟の覚書 船山隆・笹羽映子訳 晶分社 1982年
  • 世界の調律ーサウンドスケープとはなにか 鳥越けい子訳 平凡社 1986年
  • サウンドエシックス 小沼純一 平凡社新書 2000年
  • トランス・イタリア・エクスプレス 細川周平 筑摩書房 水星文庫 1985年
  • 音楽の根源にあるもの 小泉文夫 青土社 1977年 おすすめっぽい
  • 「音楽考現学」 「音楽博物誌」 片山社秀 アルテスパブリッシング 2008年 超おすすめっぽい


形式とは素材それ自体ではない、知覚される素材である。知覚は周囲世界によって行われる。素材が形式になるためには、周囲世界がなければならない。素材は周囲世界によって知覚され、周囲世界と素材が関連づけられることによって、形式が生じる。形式とは素材と周囲世界の産物である。

素材=音 周囲世界=人 形式=知覚の枠

実際に存在している素材は「音」であり、それを「周囲世界=人」が、「形式=知覚の枠組」を通して、音楽として聴く。

 

 

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